岡崎南ライオンズがある岡崎市と
八重山ライオンズがある石垣市は
文化的な交友や親善を目的とした地域のつながりがある親善都市で結ばれています。
交流が始まったのは、
復帰前の1969年2月からで、半世紀以上前からです。
沖縄が本土へ復帰したのが1972年5月15日、
当時、沖縄はアメリカの統治下だったという事もあり、
お金はドルを使い、本土へ行くにはパスポートが必要だったそうです。
その頃から、岡崎市と八重山諸島石垣市の交流は
始まっていたということです。
新聞記事を元に、南ライオンズと八重山ライオンズの軌跡を書いていきたいと思います。
太平洋戦争当時、石垣市の旧石垣市の旧大浜飛行場に駐屯していた岡崎出身の海軍将兵たちが、
戦後「八重桜会」を結成したと記されています。
当時、兵舎代わりに使用をしていた大浜小学校に、当時のお礼にと書籍や文房具を贈呈したことを
きっかけに、姉妹校として縁結びを行ったそうです。
その後は、岡崎市の奥殿小学校と児童や保護者、八重桜会会員が愛知県教育長の親書きなど携え、
石垣島の家庭に宿泊したりして、
今でいう”ホームステイ”という形で歓迎して交流を深めていたそうです。
1「2022年5月2日付け八重山毎日新聞より引用」
岡崎市は姉妹校からさらに、姉妹都市=親善都市に発展させたいと
行政交流の意向を伝えていましたが、
財政規模が桁違いだったこともあり、石垣市では及び腰になっていたと言われています。
(当時、石垣市の人口は5万人、岡崎市の人口は25万人)
(現在、石垣市の人口は4.7万人、岡崎市の人口は38万人)
両市の人口や財源規模、行政水準における格差などの問題などがあったそうです。
それでも、精神的つながりを優先し、小学生の事実上親善を深めていたとして市議会に議案を提出したそうです。
岡崎の熱意が伝わり、正式に提携したいという議案は、
全会一致 で可決されました!
児童たちの純真な交流をきっけけが1969年2月に親善都市提携が実現しています!
親善都市提携後は、岡崎会館の落成や観音堂の石碑の寄贈、
両市職員の人材交流など、人・ものの交流が盛んに行われたとあります。
2「2022年5月3日付け八重山毎日新聞より引用」
親善都市提携を結んだ際
石垣空港では、大浜小学校の鼓笛隊のほか行政関係者、
市民ら約500人の出迎えを受けたそうです。
その後は、石垣島内をパレードまで行われたそうです♪
盛大な歓迎ムードだったことが想像できますね。
3「2022年5月10日付け八重山毎日新聞より引用」
今でも
奥殿小学校と大浜小学校の交流は続いており
オンライン交流や、絵画などを見せあう作品交流などが行われているそうです。
時代とともに交流の形は変わったものの、
時代の進化を感じる交流になっていて、それはそれでとても良いですね!
4「2022年5月11日付け八重山毎日新聞より引用」
”地域の誇り”として、先輩たちが繋いできてくださった交流を守っていきたい。
実際に、
岡崎南ライオンズクラブは、毎年石垣島にマングローブの植樹際に行っています。
八重山ライオンズクラブの皆さんも、年に1回くらいは我々が主催するイベントにお越しいただけています。
50年前から続いている、この縁を大切にこれからもこの交流を
その先の未来につなげていきたいと思います!